スボラな私は美容や健康には、それほど努力しないでよかったのですが、ここ数年、老いが急速にやってきています。健康診断で気になることや、肌の乾燥、そして歯がもろくなっていることにがっかりすることがあります。
コロコロと健康・美容法を色々試したことで、気がついたことがあります。やはり薬局の化粧品では、賄え切れない症状があり、高い化粧品には、それなりに効果があること。オーガニック成分だからよいとは限らない。重層とお酢のノーシャンプーを1ヶ月つづけてやってみたが、ボサボサ頭になるだけで、あまり健康的ではなかった。ココナッツオイルやコロストラムなどのホールフーズサプリは、本当に体によい。ヨガを9ヶ月休憩したことで、頭が鈍くなっていくと。
などなど。いずれ散っていく身に、生きることに、どれだけお金と努力をつぎ込むのかなと。その分、制限される自由を感じるときさえもあります。
成人の日がやってきました。遠い昔のようで、ついこの前まで、自分は「若者」の一人だった。私は、アメリカ生まれのアメリカ育ちで、13才で日本に来たので、どこかで二人分の人生を生きている気がしています。アメリカ人の私と日本人の私。足して2で割れば、二人とも成人することになるのだが、その倍の年数を生きても、私の心はまだどこか若いときに止まっている状態かなぁ、と思うときがあります。
「老いる」ことを実感して、消耗する人間の体を不思議に思うことがあります。若いときは、人生は永遠に感じたけど、その「住処」にいずれ錆がでて、メンテナンスが必要です。自分の破天荒な行動の最後に、30代とは違う、より大人としての自分という生き方と向き合わざるを得ません。体の制限のなかで、これから生きる方法をしっかり見据えて、どのように自分と付き合っていきたいのか、どのように人生を築きたいのか、ライフスタイルを根っこから変えようとしています。
「大人」になることのメリットは沢山あります。俯瞰でみれるようになることや、ゴールを理解できるようなります。永遠に若いままでいなくてよかったなと思います。20代、30代の生き方は大きく違います。迷いに迷って、目の前のことを一生懸命やって突進していたが、どこかで、これでよいのか、外の結果だけにこだわり、本当に問うことをしなかった気がします。そして40代にしっかりと入っている自分は今、人生を土台から、見直しています。それが4という数字のもつ意味です。基礎を固めることです。本当の生き方は、過去にやってきたことではなく、本当は今なのです。
「大人」になることは、精神的な成熟度に対し、「老い」というのは肉体的な「成熟度」です。フランス人の女性は「老いる」ことを恥じないらしいです。日本もやっと最近、熟女先輩達が仕事で活躍するのが増え、励まされることがあります。外側の「老い」を受け入れざるをえない私は、堂々としなやかに歳をとっていきたいです。髪は染めない。疲れたときは帰る。目先の利益より、長期的なバランス。知恵勝負。老いることは、現実的に大人になっていかざるを得ない証です。若いままでいられない、自分の内面が外面にひっぱられていきます。
昨年叔父がなくなり、ある日、人がいなくなることの不思議さを感じました。人生を悟ったわけでもなく、ある日突然いなくなるだけです。それまでに人はずっと生きることに努力します。長生きして、人生にあきても、続くのです。勝手に人生は動いていくものすら感じられます。
だったら、少し肩の力を抜いてもよいのではないかなと、思いました。過去より良いものを築いていくための未来への展望だけで必死だった30代。結果だけはなく、本当の人生というのは、それぞれの段階の自分とどう付き合っていくのか、という気がしました。
これからも、自分がどんどん変わっていくでしょう。この変わっていく自分を楽しみ、変わってゆく季節、状況、周りの風景や成長する後輩達、新たにできる縁のある方との出会いや別れ。この時代の今の「家族」というものをもっとしっかり見守っていきたいと感じました。それが私の老いることの美学なのではないかと思いました。
コロコロと健康・美容法を色々試したことで、気がついたことがあります。やはり薬局の化粧品では、賄え切れない症状があり、高い化粧品には、それなりに効果があること。オーガニック成分だからよいとは限らない。重層とお酢のノーシャンプーを1ヶ月つづけてやってみたが、ボサボサ頭になるだけで、あまり健康的ではなかった。ココナッツオイルやコロストラムなどのホールフーズサプリは、本当に体によい。ヨガを9ヶ月休憩したことで、頭が鈍くなっていくと。
などなど。いずれ散っていく身に、生きることに、どれだけお金と努力をつぎ込むのかなと。その分、制限される自由を感じるときさえもあります。
成人の日がやってきました。遠い昔のようで、ついこの前まで、自分は「若者」の一人だった。私は、アメリカ生まれのアメリカ育ちで、13才で日本に来たので、どこかで二人分の人生を生きている気がしています。アメリカ人の私と日本人の私。足して2で割れば、二人とも成人することになるのだが、その倍の年数を生きても、私の心はまだどこか若いときに止まっている状態かなぁ、と思うときがあります。
「老いる」ことを実感して、消耗する人間の体を不思議に思うことがあります。若いときは、人生は永遠に感じたけど、その「住処」にいずれ錆がでて、メンテナンスが必要です。自分の破天荒な行動の最後に、30代とは違う、より大人としての自分という生き方と向き合わざるを得ません。体の制限のなかで、これから生きる方法をしっかり見据えて、どのように自分と付き合っていきたいのか、どのように人生を築きたいのか、ライフスタイルを根っこから変えようとしています。
「大人」になることのメリットは沢山あります。俯瞰でみれるようになることや、ゴールを理解できるようなります。永遠に若いままでいなくてよかったなと思います。20代、30代の生き方は大きく違います。迷いに迷って、目の前のことを一生懸命やって突進していたが、どこかで、これでよいのか、外の結果だけにこだわり、本当に問うことをしなかった気がします。そして40代にしっかりと入っている自分は今、人生を土台から、見直しています。それが4という数字のもつ意味です。基礎を固めることです。本当の生き方は、過去にやってきたことではなく、本当は今なのです。
「大人」になることは、精神的な成熟度に対し、「老い」というのは肉体的な「成熟度」です。フランス人の女性は「老いる」ことを恥じないらしいです。日本もやっと最近、熟女先輩達が仕事で活躍するのが増え、励まされることがあります。外側の「老い」を受け入れざるをえない私は、堂々としなやかに歳をとっていきたいです。髪は染めない。疲れたときは帰る。目先の利益より、長期的なバランス。知恵勝負。老いることは、現実的に大人になっていかざるを得ない証です。若いままでいられない、自分の内面が外面にひっぱられていきます。
昨年叔父がなくなり、ある日、人がいなくなることの不思議さを感じました。人生を悟ったわけでもなく、ある日突然いなくなるだけです。それまでに人はずっと生きることに努力します。長生きして、人生にあきても、続くのです。勝手に人生は動いていくものすら感じられます。
だったら、少し肩の力を抜いてもよいのではないかなと、思いました。過去より良いものを築いていくための未来への展望だけで必死だった30代。結果だけはなく、本当の人生というのは、それぞれの段階の自分とどう付き合っていくのか、という気がしました。
これからも、自分がどんどん変わっていくでしょう。この変わっていく自分を楽しみ、変わってゆく季節、状況、周りの風景や成長する後輩達、新たにできる縁のある方との出会いや別れ。この時代の今の「家族」というものをもっとしっかり見守っていきたいと感じました。それが私の老いることの美学なのではないかと思いました。