76才にもなる父が、コーチングという言葉を知らず、ヒーリングと言いたいのだが、それも言えず何故か「フィーリング」と発音してしまいます。何度訂正しても効果なし。
定年退職するまで一つの会社で人生を貫き、今の時代に企業年金をがっぽりもらって優雅な隠居生活を送っている父の言葉は確かに重いです。しかもメーカーなので、日本の経済成長を前線で担ってきた団塊の世代です。(わかるはずがない。)
幼い頃は戦争と貧乏を経験し、がむしゃらに働いて成功したサラリーマンと、育った環境の全く異なる帰国子女の娘とは互いに話がつり合うはずもありません。
20代後半から私は進路に迷い、より高次の答えを求めてOLの傍らヒーリングの世界に7年くらいどっぷり浸かっていた時期がありました。外国のスピ系は理論的で無理強いがなく、日本にあるものがより科学的でゆるいのに気がつき、ある日突然、このままでは、何もかもがカルマか運命扱いで息苦しいと感じ、ポンとがむしゃらOLになりました。また7年たったころには、このままでは、働き過ぎで自分がないことが息苦しいと思い、またポンと出ました。
今では、ものには程度というものがあり、やり過ぎ注意ということと、すべてが一つであることがよく分かります。魂を優先するか、物質を優先するか、天秤にかけてきたけど、実は一緒なんです。なんか難しい話になってきましたね。
更にパイをどの面から切るのか、この角度かこの角度で切るかによって、世界はサラリーマン、ヒーラー、コーチなどという分け方になっていきます。しかも、大本は同じ一つの世界。様々な視点が同時にあるから面白いし、それも同時に摩擦し合うのでうっとうしい。笑 それが、この世の仕組みってことですね。自分のあるべき姿がヒーラーと思えば、楽しい限りをそれをすればいいし、後にサラリーマン的考え方が必要で身につけ、あとでありたい姿を模索していってコーチングと出会い、疲れた心を元に戻してくれたのがヒーリング。
一周しました。
望むものは、究極的には形ではなく「フィーリング」です。
父の言い間違いが実に真実に近いところがあります。私達は、幸せになるために生まれて来ています。その幸せは、フィーリング、感覚です。人によって、様々です。
強くありたい。
賢くありたい。
楽しくありたい。
セクシーでいたい。
その感覚がもたらすワクワクする感情も人それぞれ。
それを体現しに生まれて来ています。
このことが私のコーチングの方針からそれほど遠くありません。私は、より精妙な情報を求めてきました。
私達は人生からすべてを求めるけど、何もすべて今同時に経験する必要はなく、現在一番興味があるもの、楽しいと思えるものから一つ一つ体現していけばいいです。その楽しめる感覚、感情が一番大切です。
「何を」ではなくて、「いかに。」
ヒーラーとしての自分の土台が、サラリーマン時代には自分のバネにはなったし、サラリーマンもコーチとしての基礎といっても過言ではないです。でも興味のある役割は今コーチと呼んでいます。
あなたを作ってきた土台は何ですか。そして、今あなたをそれによってどのような「フィーリング」を体験していますか。
今では、父の間違いを訂正するのをやめました。